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代表取締役 社長 池戸史英 IKEDO FUMIHIDE 物語

株式会社ドーマン・アイシーは、2001年に弊社代表の池戸が何もないところから創った会社です。
まさにドーマン・アイシーは、彼の半生を詰め込んだもの。
そこにはたくさんの出会いや出来事、成功と失敗があり、書籍化出来てしまう勢いです。
今回はそんな「池戸史英」の半生をグッとまとめて物語に致しました。
この物語を読めば、ドーマン・アイシーのことを少し理解していただけるかもしれません。

昭和三十七年

1962

9人兄弟の次男坊、
池戸史英誕生。
両親の影響を
大きく受けて育つ。

1962年11月24日、愛知県春日井市にある八百屋「万菜屋」を営む両親から生を受けます。
毎朝5時に起きて市場にでかけ、コツコツと仕事を頑張る父親。天真爛漫でどんな大変なことにも愚痴ひとつ言わず、家庭と八百屋の仕事を両立してきた母親。
彼は、幼い頃からそんな両親の姿を見て、無意識のうちに働くことへの尊さを学んでいくのです。
今でも池戸の心の中には、両親の影響が強く残っています。

実は彼、9人兄弟の次男坊。みなさん、どれが弊社代表の池戸か分かりますか?
池戸はよく「母親の愛は本当に偉大だ」と口にします。
9人の子供達を育てながら休みなく働く母親は、彼にとって本当に偉大な存在だったのでしょう。

昭和五十六年

1981

大学教授との
出会いから
広告業界へ

9人兄弟の中ですくすくと育った池戸は地元の大学へ進みます。そこで出会ったゼミの教授が大きな導きを与えてくれるのです。教授が日頃から学生に伝えていたことは、「人生は哲学だ」ということ。一般的な学生にはあまりピンとこない言葉でしたが、彼にとっては非常に興味深い言葉でした。起業や経営に関心があった池戸は、ある日そのことを教授に相談します。すると教授は、「経営には人脈が必要だ」と言い、彼にある広告会社の経営者を紹介するのです。
広告に興味があるわけでなく、ましてや広告会社がどんな会社かも分からないまま、まずはその会社にアルバイトとして働き始めた池戸。しかし働いているうちに、次第に広告業界こそが、「人脈産業」であることを理解したのです。

平成十二年

2000

大きな覚悟・
強い意志を持って
独立へ

そんな経緯でその広告会社の社員となった彼は、様々な伝説を作ります。その伝説話は少し長くなるためここでは割愛させて頂きます。(笑)気になる方は、直接本人に聞いてみてください。
月日は流れ、29歳の池戸はその会社で出会った女性(現在は弊社の役員です)と結婚をします。子宝にも恵まれ3人の娘を授かった彼は、独立の意思があるものの家庭の状況などから中々踏み出せずにいました。
そんな中、池戸家にショッキングな事が起こります。弟の五男が交通事故に遭い、脊髄を損傷する大けがで、弟は車椅子生活を余儀なくされます。大きな悲しみの中で、池戸にある思いが沸いてきます。「人生は一度きり。後悔しないように生きなければならない」。そんな強い思いから、独立を決意するのです。それが37歳の時です。

平成十三年

2001

ドーマン・アイシー
誕生も前途多難な
スタート

念願の独立を果たし、2001年、ついにドーマン・アイシーが誕生します。お金もない、クライアントもない、信用もない、無い無いづくしの中、あるのはパッションとデスクと電話だけ。それがドーマン・アイシーの始まりです。
威勢よくスタートしたものの、まったく仕事がありません。途方に暮れながら今池の歩道橋を歩いていると、池戸の目に煌びやかな沢山のネオンが映りました。

売上の最初は、
ラブホテル??

「ラブホテルってこんなにたくさんあるんだな。ん、、、なにか新しいことができるんじゃないか」そう思った池戸は、早速次の日からラブホテルに向けた新たなメディア開発を行うのです。
そして開発したのが、ラブホテルで使用できるクーポンブックでした。当時人気だった地元雑誌の広告枠を買い切り、東海3県のすべてのラブホテルに飛び込み営業を行ってクーポンの掲載を頂くのです。
この企画は大きな反響を呼びました。男性と女性が愛を育むことを支える、これも社会貢献だと池戸は胸を張って仕事を行っていたようです。創業期にはドーマン・アイシーの稼ぎ柱となるほどの事業となりましたが、後にこの事業からは撤退することになります。

平成十七年

2005

稲盛哲学を学び、
自身の経営を
見直す

池戸にとって経営の考え方を変える大きなきっかけがありました。「経営の神様」とも言われている京セラの創業者、稲盛和夫氏が設立した盛和塾への入塾です。
稲盛和夫氏の哲学の中核をなす、人生をよりよく生き、幸福を得るための方程式が、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」。どんなに能力が高く熱意があったとしても、考え方がマイナスであればすべてがマイナスになる。だからこそ、考え方=哲学が大切であることを学んだのです。
それから池戸は、自身の経営に稲盛哲学を取り入れ、社員への教育においても「考え方」の大切さを伝え続けています。

平成二十年

2008

ピンチをチャンスに
変えた商品開発

リーマン・ショックの影響は非常に大きく、ドーマン・アイシーも売上が半減するほどの状況でした。そこで池戸は、継続的に売上を作ることの重要性を痛感します。そんな事を思いながら地下鉄の駅を歩いていると、リーマン・ショックの影響で空き枠が目立っていた電照看板が目に止まりました。「この空き枠をなんとか出来ないか」そう考えた池戸は、オリジナルの媒体開発を行い新たな企画を創り出したのです。
まさにピンチこそ最大のチャンス。このリーマン・ショックをきっかけにドーマン・アイシーのOOH事業は成長し、事業の軸となっていきます。

令和二年

2020

念願の東京進出

かなり月日が経ち、ついにドーマン・アイシーは東京に進出しました。東京進出には池戸の強い思い入れがあります。やはり東京は日本の中心となる場所。それゆえにマーケティングや広告宣伝が東京を中心に動いていると言っても過言ではありません。
コロナ禍での波乱の幕開けとなりましたが、東京に拠点を置き、全国規模のクライアント様に貢献していくことが、広告会社として一回り大きくなるための条件だと彼は言います。

池戸史英の物語はいかがでしたか。
これまで本当に様々なことがありましたが、
1つ言えることは、人との縁や繋がりがあってこそ、
ここまで来ることが出来たということです。
物語はこれで終わりではありません。
これからも新たな物語を創っていきます。
そして、皆さんとのご縁や新たな出会いを大切にし、
邁進してまいります。
引き続き、ご支援ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

ゴリラは
ゴリラを応援します

ドーマン・アイシーは、東山動植物園のイケメンゴリラ「シャバーニ」を応援しています。物語にも出てきました池戸の家族は、実は漫画の題材になっているんです。
皆さん「ゴリラーマン」ってご存じですか?大人の事情で画像は掲載することはできませんが(笑)、過去にヤングマガジンで連載されていた作品で、主人公の名前もまさに「池戸」なのです。
そこから彼を「イケドーマン」と呼ぶ人が増え、ドーマン・アイシーという社名に繋がったとか。そんなご縁があるゴリラに敬意の意味も込め、協賛をさせて頂いております。

ドーマン・アイシーは東山動物園
ニシゴリラ「シャバーニ」の動物スポンサーです。

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